久芳(くば)について
[caption id="attachment_10" align="alignright" width="110"]
亀甲に抱き茗荷[/caption]
久芳と言う名字で、「くば」と読みます。
未だに同じ名字の人に出会った事が有りませんが、mixiでこの名字を検索すると沢山の方がいらっしゃるようでビックリです。
前々からこの"久芳"という珍しい名前に興味が有ったので、調べてみました。
以下、判明した事をご紹介しておきます。
少ない名字とは言え、現在ではいくつかの流れの久芳が有る様ですので、ご了承下さい。 ちなみに、我が家の家紋は、「亀甲に抱き茗荷」ですが、他の久芳さんからいた情報では、「北条鱗」の方が多いです。
[caption id="attachment_9" align="alignright" width="110"]
北条鱗[/caption]
まず、父から聞いた話では、以前”久芳会”と言う会が作られて、"久芳"の由来等を調査している会が有ったそうです(まだ有るのかは分かりません)。 また、父は会に参加していたわけではなく、以下はあくまでも聞き及びのようですが、
『中国山陰地方に"玖波(くば)"と"久芳(ひさよし)"と言う地名がある。 それが合わさって、久芳(くば)と言う地名が成った。 また、久芳城と言う城も有った。』 との事です。 いつ頃にその漢字と呼び名に成ったか等詳細は不明です。
次に、私が(主にネットで)調べた内容です。
両親の出身地が山口で、その辺りに少ないですが、他にも久芳の名字があるとの事で、そこら辺を考えると、安土桃山時代は毛利家と関わりがありそうなので調べたところ、久芳賢重(くば かたしげ)、久芳賢直(くば かたなお)の父子を見つけました。 "久芳城"が居城だったと言う事なので、父の話とも一致します。
元々、大内家に仕えており、大内家が滅んで(乗っ取られ?)陶家に仕えていたようです。 賢重は、兼重からの改名で、息子も賢直と言う、陶晴賢から"賢"の偏諱を受けているので、元々陶家よりだったのかもしれません。 ※偏諱とは元服時に主人・烏帽子親の名前の一字を自分が新しく名乗る名前に使用することです。
そして、「折敷畑の合戦」後以後、毛利についた様です。
二人から更にたどると、北条時政(源頼朝の妻北条政子の父)の子孫で、芸州久芳村を領して久芳氏を称したとの事です。
と言うことは、平氏ですね。 ただし、北条時政が桓武平氏の流れというのは、信憑性が無いとの噂が…。
また、家紋が「北条鱗」の方は、こちらの系統の可能性が高いです。
大内氏に仕えていたが大内氏滅亡後は毛利元就に仕え、賀川地方(山口市嘉川)の領主となったそうです。
久芳城が、どこに仕えてた時に居城としたのかが不明ですが、城持ちでもあるので、そこそこイケてる家臣な気がします。 そろそろ、信長の野望に登場しても良いのではないでしょうか。
私が調べた中で、歴史上、久芳の名前で見かけたのは、以上二人だけです。
他に何かご存じの方がいらっしゃいましたら、是非連絡を頂けると嬉しいです。